ORANGE diary

日常のファンタジーへと

あの日の私

あの日の記憶をつらつらと。

 

~当日、私はその日が締切だった仕事に追われている後輩を横目で眺めていた。手伝える範囲のものは手伝ったのであとは心の中で「頑張れ!」とエールを送って自分の仕事をこなしていた。

 

あれ?揺れてる?

 

次第に大きくなっていく揺れ。
当時はわからなかったけど遠方の地震長周期地震動を引き起こし、都内もゆっくりと、そして長く揺さぶられることになる。
わさ、わさ。ミシミシ。
シーンと一瞬静まり返るも次第に社内に響く女子社員の悲鳴。

 

ドアがゆがんで開かなくなるぞ!という叫び声がし、ドアに比較的近い席だった私はとっさにドアを開けてそのままそこで待機した。…揺れが全くおさまらない。長すぎるし横に揺さぶられすぎている。怖い。


ふと窓の外に目をやると近くのビルがゆっさゆっさと大きく揺れていて手前のほとんど動いていないビルの後ろから顔を出したりひっこめたりしていた。
「あのままだとあのビル倒壊する!」

恐ろしくなった私は一緒にドアを抑えていた面識のない部署の女性社員と一緒にほぼ無意識で6Fから一気に1Fまで階段で駆け降りた。途中、階段の壁がぱらぱらと剥がれ落ちてきて、怖くて泣きそうになった。外に出ることが危険だとわかっていたけどビルの中にとどまっているのも本能的に危険だと思って飛び出た。
飛び出たはいいけど、一旦おさまったと思った揺れは余震で何度も繰り返し起きる。地震だということがわかるのみで、あとはどんな天変地異が起きているかわからない。何が起きているの??TVもないし、携帯はつながらない(無意識だったけど逃げる時に鞄は持って逃げたらしい)。というか思えば必死過ぎて情報を得ようとも思わなかった。
逃げなきゃ!でもどこへ?という問答だけが続く。


周りはオフィス街でどのビルも今にも倒壊するんじゃないかと思うぐらいぐわんぐわん揺れてるし、街灯も信号機も折れそうなぐらい揺れてる。そのうち遠くの方から黒煙があがった。

「火事だ!」

幸い距離が遠いと思われたのでそれ以上動揺することはなかったけど誰にも連絡取れないし、怖くて怖くてとっさに一緒に逃げた女性の社員さんと二人でおびえていた。

 

半年前に竣工した安全なビルに一時避難。揺れが収まってからもう一度ビルに引き返そうとしたら1Fに入っているファーストフード店のTVがニュースに切り替えられているのが見えた。お店に入ってTVをみた瞬間「津波だ・・・」飛行機や船、車がどんどん押し流されている映像をみて顔面蒼白に。。いったいそれがどこの話なのか検討もつかずにただTVを見つめていた。
自分のフロアに戻ると(知らぬ間に何時間も経っていたらしい)「どこ行ってたんですか???」と怒られる始末。どうやら危ないからビルの外には出るなと言われたらしい。それでもやはり同じように外に飛び出した人が何人もいてフロアはがらんとしてた。


PCでネットからくる情報をみて初めて東北が震源地震だと知った。

「おばあちゃんちが!!!」

私は宮城県出身です。
父方・母方の両祖父母の家、親戚のほとんどは宮城県に今も住んでいます。でも状況を確認したくても誰にも連絡が取れません。そうこうしているうちに妹から「私は無事だよ」と連絡が入りました。「お母さんとも連絡がついたよ」と。本当に良かった。
母親からも電話が来て、自分はデパートにいて怖い思いをしたけど何とか車を運転しておうちに帰ってきた。うちにいたお父さんも無事だったよという報告を受けた。家族の安否は確認できたけど、とっくに定時を過ぎていて帰宅しようと駅まで行った人がみんなオフィスに帰ってきた。・・・え?


「電車が全部止まっててもう今日は動くかわからないって…」

 

当時、ツイッターSNSもLINEも(LINEあったっけ?)やってなかった私は情弱すぎて何も情報が得られませんでした。とにかく情報が欲しくて部署の人たちと1Fのファーストフード店で夕飯の食材を確保してからTVをひたすらみてました。

そのうち、当時社宅に住んでいて同居人がいた私は同居人と連絡がついて一緒に歩いて家まで帰ろうということになった。一人だったらすごく心細かったし歩いて帰るなんて考えにも及ばなかっただろうけど話しながら人で埋め尽くされた歩道をゆっくり歩いても日付が変わる前には家についた。


しかし、その後が悲惨だった。

 

家の玄関を開けたら目に飛び込んできたのは倒れた食器棚…朝時間がなくて流しに置いたままの食器は上から降ってきたものによって割られていた。さらにひどいことに私の寝室の壁一面にひびが斜めに入っていたのだ。そしてガスは止まっていてつかない。お風呂はあきらめて沸かしたお湯でタオルを濡らし、体を拭いた。

 

けたたましく鳴り響く緊急地震速報のアラームに何度もビビり、後片付けが終わっても全然落ち着かない夜だった。

翌朝、隣の人が「ガスは揺れを感じると自動的に切られる仕組みになってるから自分で復旧させたらつくよ?」と教えてくれたので復旧させた。
ぼーっとTVを見ていたら今度は長野で大きな地震…さらに、原発の事故。

 

もう日本は終わりなんだと思っていた。
とにかく翌日も外に出ることはなかった。

(・・・この地震の後、社宅が耐震基準を満たしていないとのことで追い出される羽目になるのであった。)

 

自分も怖い思いをしたが、連絡のつかない親戚が多々いることでしばらくの間胸が押しつぶされそうになっていた。


もうあんな思いはしたくない。でも災害はいつまたやってくるかわからないのだ。
あれから5年、同じ曜日の今日。黙とうを捧げます。